約 374,565 件
https://w.atwiki.jp/studykorea/pages/111.html
トップページ>韓国>韓国史研究 『韓国史研究』40、1983.3 論文 崔在錫「新羅王室の婚姻姓」 田寿炳「朝鮮太宗代の貨幣政策楮貨流通を中心に」 崔孝軾「御営庁研究」 金淑子「旧韓末(1896-1910)民権運動についての一考察」 『韓国史研究』39、1982.12 論文 辛鍾遠「慈蔵の仏教思想についての再検討:新羅仏教初期の戒律の意義」 金東洙「新羅憲徳・興徳王代の改革政治:特に興徳王九年に頒布された諸規定の政治的背景について」 尹煕勉「新羅下代の城主・将軍:真宝城主洪術と載岩城将軍善弼を中心に」 李載浩「「乙支文徳」と「木綿」の異論に関する一考察」 金正起「朝鮮政府のドイツ借款導入(1883-1894)」 孫禎睦「開港期の都市人口規模」 『韓国史研究』38、1982.9 論文 金相鉉「『三国遺事』の刊行と流通」 高翊晋「『三国遺事』撰述攷」 조동일「『三国遺事』説話研究史とその問題点」 南豊鉉「『三国遺事』の国語学的研究の回顧と展望」 金都鍊「『三国遺事』国訳上の諸問題:諸事例を中心に」 盧泰敦「三韓についての認識の変遷」 書評 徐大錫「金烈圭、申東旭 篇『三國遺事와 문예적 가치해명』새문사、1982年」 河炫綱「申瀅植『三国史記研究』一潮閣、1981年」 『韓国史研究』37、1982.6 論文 朴龍雲「高麗時代蔭敍制の実際とその機能(下)」 金泰永「科田法の成立とその性格」 李均永「新幹会の創立について」 評説 金世潤「新羅下代の渡唐留学生について」 『韓国史研究』36、1982.3 論文 朴龍雲「高麗時代蔭敍制の実際とその機能(上)」 蔡尚植「浄土寺址法鏡大師碑陰記の分析:高麗初地方社会と禅門の構造と関連して」 朴宗基「14-15世紀越境地についての再検討」 柳承宙「朝鮮後期金銀銅鉱業の物主制研究」 書評 鄭求福「韓永愚『韓国前期史学史研究』ソウル大出版部、1981年」 『韓国史研究』35、1981.12 論文 崔夢龍「全南地方支石墓社会と階級の発生」 許興植「高麗中期華厳宗派の継承:元景王師を中心に」 崔在錫「高麗朝における土地の子女均分相続」 金泰永「科田法体制下の土地生産力と量田」 崔惠珠「滄江金澤栄研究」 評説 이융조「韓国旧石器文化の理解についての諸問題」 『韓国史研究』34、1981.9 論文 金相鉉「萬波息笛説話の形成と意義」 崔完基「高麗朝の税穀運送」 張叔卿「高麗武人政権下文士の動態と性格」 張東翼「惠諶の大禅師告身についての検討:高麗僧政体系の理解を中心に」 丁原鈺「在満正義府の抗日独立運動」 『韓国史研究』33、1981.6 論文 盧明鎬「高麗の五服親と親族関係の法制」 朴宗基「13世紀初の村落と部曲」 홍성찬「韓末・日帝下の地主制研究 :江華洪氏家の秋収記と長冊分析を中心に」 調査報告 宋基豪「渤海史関係論著目録」 書評 최무장「이융조『한국선사문화의 연구』평민사、1980年」 金杜珍「李基東『新羅 骨品制社會와 花郞徒』韓国研究院、1980年」 『韓国史研究』32、1981.3 論文 崔秉鉉「古新羅積石木木槨墳研究(下):墓型とその性格を中心に」 韓忠煕「朝鮮初期議政府研究(下)」 林炳勲「朝鮮後期鉱業経営の発展:金・銀鉱業を中心に」 『韓国史研究』31、1980.12 論文 崔秉鉉「古新羅積石木木槨墳研究(上):墓型とその性格を中心に」 李惠玉「高麗時代貢賦制の一研究」 韓忠煕「朝鮮初期議政府研究(上)」 『韓国史研究』30、1980.9 論文 兼若逸之「新羅『均田成冊』から推定される平均寿命」 金光洙「高麗時代の権務職」 崔炳憲「高麗時代華厳学の変遷:均如派と義天派の対立を中心に」 金淑子「独立協会の教育思想:独立新聞の教育論説分析」 裵英淳「韓末司宮庄土における導掌の存在形態」 朴賢洙「日帝の侵略のための社会・文化調査活動」 李載龒「李成茂『朝鮮初期両班研究』一潮閣、1980年」 李龍範「全海宗『東夷傳의 文獻的 硏究』一潮閣、1980年」 『韓国史研究』29、1980.6 論文 閔徳植「鎮川大母山城の分析的研究」 尹龍爀「蒙古の二次侵寇と処仁城勝捿:特に広州民と処仁部曲民の抗戦に注目して」 李栄薫「朝鮮後期八結作夫制についての研究」 『韓国史研究』28、1980.3 論文 이융조「大清ダム水没地域の旧石器遺物:「製作」と使用の復元解釈を中心に」 姜仁求「達城辰泉洞の支石墓:複式石棺と屈身葬の新例」 李景植「朝鮮前期職田制の運営とその変動」 孫禎睦「開港期の漢城内外国人居留経緯」 書評 李景植「趙東杰『日帝下韓国農民運動史』한길사、1979年」 金敬泰「朴永錫『万宝山事件研究』亜細亜文化社、1978年」 『韓国史研究』27、1979.12 論文 朴性鳳「広開土好太王期高句麗南進の性格」 兼若逸之「新羅『均田成冊』における烟人動態復元の試み」 許興植「高麗の科挙と門蔭制度との比較」 柳承宙「朝鮮前期の金銀鉱業研究」 『韓国史研究』26、1979.10 論文 金貞培「三韓社会の「国」の解釈問題」 임세권「溟州郡下詩洞周辺遺蹟の性格」 蔡尚植「普覚国尊一然についての研究:迦智山門の登場と関連して」 李秉烋「朝鮮初期嶺南・畿湖士林の接触とその推移:士林派の性分と関連して」 崔鍾庫「韓末『京郷新聞』の法律啓蒙運動」 『韓国史研究』25、1979.8 論文 李鍾旭「斯盧国の成長と辰韓」 李泰鎮「新羅統一期の村落支配と孔烟」 裵英淳「韓末駅屯土調査における所有権紛争:光武査検期の紛争事例についての分析を中心に」 金度亨「毅菴柳麟錫の政治思想研究」 『韓国史研究』24、1979.5 論文 金英夏「磨製石剣の祖型に関して」 千寬宇「目支国考」 李景植「16世紀屯田経営の変動」 金正起「兵船章程の強行(1888.2)について」 朴永錫「日帝下在満韓国流移民村落の形成に関する研究:蔚珍慶州李氏一家の移住事例」 『韓国史研究』23、1979.2 論文 朱甫暾「新羅中古の地方統治組織について」 金毅圭「新羅母系制社会説についての検討:新羅親族研究(其一)」 兼若逸之「新羅『均田成冊』の研究:いわゆる民政(村落)文書の分析を中心に」 金光洙「羅末麗初の豪族と官班」 『韓国史研究』21・22、1978.9 論文 盧泰敦「羅代の門客」 朴龍雲「高麗前期文班と武班の身分問題:高麗貴族家門研究(3)」 李景植「朝鮮初期屯田の設置と経営」 鄭求福「『東国通鑑』についての史学史的考察」 金龍徳「郷庁沿革考」 李鎬徹「日帝侵略下の農業経済を形成した歴史的背景に関する研究(下):農民の社会的存在形態を中心に」 1-20 21-40 41-60 61-80 81-100 101-120 121-140 141-160 161-180
https://w.atwiki.jp/studykorea/pages/124.html
トップページ>韓国>韓国文化 『韓国文化』65、2014.3 金何羅「兪晩柱の銭謙益受容:朝鮮後期知識人が明清交替期文学を読むという事」 김수진「18世紀在京士族の文化感覚と兪晩柱の書画趣向」 姜文植「兪晩柱の経書認識と学習」 김성수「18世紀後半医学会の変化相:『欽英』から見た朝鮮後期の医学」 설배환「18世紀朝鮮士人の異域認識:『欽英』の『同文広考』転記を通じた考察」 윤경진「高麗時代按察使の機能についての再検討:軍事と司法の機能を中心に」 강관식「南塘韓元震の深衣幅巾像」 임부연「星湖李瀷の心学:『心経附註疾書』を中心に」 『韓国文化』64、2013.12 鄭容郁「ウェイドマイヤー(Wedemeye)将軍前上書:四人の知識人が論じた1947年8月の時局とその打開策」 金泰雄「開港~日帝強占前期(1899-1933)群山地域搗精業の推移と地域的特徴」 박준형「開港期平壌の開市過程と開市場の空間的性格」 盧官汎「大韓帝国末期東アジア伝統漢文の近代的転有:朴殷植の『高等漢文読本』を中心に」 崔惠珠「日帝強占期古典の形成についての一考察:在朝日本人と朝鮮光文会の古典刊行を中心に」 조윤정「入試地獄から読む朝鮮語読本」 박현순「英祖代到記儒生殿講についての考察」 조남호「権尚夏の異端観と哲学思想」 정길수「許筠の思想転換:『乙丙朝天録』に込められた許筠晩年の思い」 정병설「主題把握の方法と『九雲夢』の主題」 이지하「大河小説のなかの親同気間善悪構図とその意味」 『韓国文化』63、2013.9 정요근「全羅南道地域の高句麗~朝鮮時代越境地分析」 李栄昊「郷人から平民へ:平安道郷人体制の構造とその解体過程」 金維真「『車崔二義士伝』に現れた尊明排清論の変化」 이경미「開港以後大韓帝国成立以前外交官服飾研究」 목정수「韓国語方向格表示の細分化機制:補助動詞「-(어)가다/오다」を中心に」 강진원「高句麗陵園制の衰退とその背景」 李相燦「鼎足山史庫本太祖~明宗実録の構成と書誌的特徴」 남지대「朝鮮太宗の王位と王統の正当化」 姜文植「宋時烈の『朱文抄選』の編纂とその意味」 『韓国文化』62、2013.6 論文 金景淑「朝鮮後期察訪の駅站運営と官職生活:19世紀初金載一の『黙軒日記』を中心に」 朴賢淳「世祖代科挙制運営の整備」 박종진「朝鮮後期開城邑誌に記録された「開城」の山」 李鍾黙「朝鮮後期燕行と花卉の文化史」 노인환「朝鮮後期教書の発給過程研究:1756年(英祖32)宋時烈文廟従祠教書を中心に」 조계영「朝鮮時代実録付録の編纂と保存:『端宗大王実録附録』を中心に」 강호선「朝鮮太祖4年国行水陸斎設行とその意味」 이세형「朝鮮前期「農荘的地主制」:「私債型」「権力型」形成を中心に」 노영기「5・18抗争初期軍部の対応:学生デモの市民抗争への転換背景と関連して」 『韓国文化』61、2013.3 論文 李丞宰「咸安城山山城221号木簡の解読」 김대중「『三韓詩龜鑑』所載崔瀣の評点批評研究」 尹京鎮「高麗按察使の淵源と「五道按察使」の成立」 김윤정「謙斎朴聖源の礼学と『礼疑類輯』の性格」 禹景燮「朝鮮後期知識人の南明王朝認識」 김수진「李麟祥・金謹行の湖社講学についての研究」 박희병「朝鮮の日本学成立:元重挙と李徳懋」 손정희「洪敬謨の『山居十供記』と19世紀清供の文化的含意」 이영경「英祖代の教科書刊行とハングル使用の様相」 김봉좌「朝鮮後期伝令のハングル翻訳と対民流布」 이승희「朝鮮後期王室女性のハングル使用様相」 権泰檍「1910年代日帝の「文明化」統治と韓国人の認識:3・1運動の「家族性」原因究明のためのひとつの試論」 李相燦「朝鮮総督府の「図書整理事業」の植民地的性格」 1-20 21-40 41-60 61-80
https://w.atwiki.jp/studykorea/pages/141.html
トップページ>韓国>韓国史研究 『韓国史研究』166、2014.9 蔡旼錫「百済王・侯制の導入と運営についての試論」 김경태「壬辰戦争講和交渉前半期(1593.6-1594.12)、朝鮮と明の葛藤についての研究」 허태용「1728年戊申乱の鎮圧と『勘乱録』の編纂」 주매「大邱月村地域丹陽禹氏宗契畓斥売事件を巡る紛争について」 具萬玉「除有本(1762-1822)の学問観と自然学談論」 李旼錫「1886年博文局の『万国政表』出刊と世界地理情報の流通」 이영미「日本の韓国支配に対するグリフィスの態度」 李成雨「李学純・李来修父子の民族運動」 琴普云「韓国政府樹立時期韓米間の行政権移譲過程と性格:「財政及び財産に関する最初協定」を中心に」 『韓国史研究』165、2014.6 一般論文 李道学「後百済の全州遷都と弥勒寺開塔」 서금석、김병인「高麗時代水時計についての試論」 한정수「高麗後期王室婚と恭愍王代后妃冊封の意味」 이정민「朝鮮後期学界の薛瑄(1389~1464)評価、その変化と意味」 朴漢珉「開港場「間行里程」運営に現れた朝日両国の認識と対応」 裵亢燮「鄭喬(1859-1925)の官職経歴と社会活動」 정용서「解放後天道教青友党の政治運動」 윤덕영「米軍政初期政治対立と葛藤構造の重層性:1945年末韓国民主党主導勢力の政界改編運動を中心に」 批評論文 권내현「朝鮮後期戸籍についての理解:論争と課題」 拝根興「中国学界の百済遺民禰氏家門墓誌銘の検討」 『韓国史研究』164、2014.3 企画論文:韓国近現代史のなかの少数者 원재연「天主教徒甕器匠の流浪と隠遁」 예지숙「日帝下浮浪者の誕生とその特徴:1910年代を中心に」 소현숙「守節と再嫁の間で:植民地時期寡婦談論」 권도희「近代妓生、未定の少数者」 주윤정「「盲人」占卜業組合を通じてみた少数者の経済活動」 一般論文 김종수「高麗前期の武班と軍班」 崔妵姫「英祖代中盤均役法施行議論と『宣恵庁定例』の刊行」 조규태「日帝強占期天道教の議会制度導入と運用」 김광재「義州商人鄭済亨の生涯と在中活動」 辛珠柏「観点と態度としての「内在的発展」の形成と1960年代東北アジアの知的ネットワーク」 書評 신종원 「仏教史研究の豊かな結実、そして親切な指針書:『韓国仏教史研究入門』」 『韓国史研究』163、2013.12 企画論文:進出土資料で見た百済の中央と地方 김영심「舎利器銘文を通じて見た百済泗沘時期国王と貴族勢力の権力関係:沙氏勢力との関係を中心に」 尹善泰「新出資料から見た百済の方と郡」 一般論文 박성현「新羅郡-城・村制の特徴と郡県制への転換」 李貞薫「元干渉期商議官職の設置と変化」 南東信「李穡の高麗大蔵経印出と奉安」 박정민「朝鮮世宗代女真人通交体制の整備」 金盛祐「壬辰倭乱初期制勝方略戦法の作動方式と尚州北川の戦い」 金伯哲「霊城君朴文秀(1691-1756)の政界活動:蕩平官僚の重層的位相についての検討」 박현순「地方知識人黄胤錫と京華士族の交遊」 金芝英「正祖代思悼世子追崇典礼論争の再検討」 宋圭振「日帝の大陸侵略期「北鮮ルート」「北鮮三港」」 이세영「1950年代北韓労働者層の形成と意識変化」 書評 廉馥圭「不羲の時代、不穏な人々:鄭昞旭『植民地不穏列伝』歴史批評社、2013年」 『韓国史研究』162、2013.9 企画論文:中華文物と朝鮮のアイデンティティ 최종석「朝鮮初期国家位相と「声教自由」」 문중양「15世紀の「風土不同論」と朝鮮の固有性」 허태구「崔鳴吉の主和論と対明義理」 金澔「朝鮮後期華夷論再考:「域外春秋」論を中心に」 김대중「「内部⇄外部」に対するふたつの視線:李徳懋と朴斉家」 김영민「朝鮮中華主義の再検討:理論的接近」 一般論文 朴宰佑「高麗後期人事行政と人事文書についての批判的検討」 이명미「モンゴル服属期権力構造の成立:元宗代高麗-モンゴル関係と権力構造の変化」 나영훈「朝鮮前期都監の運営と官制整備」 남금자「大韓帝国期閔氏戚族閔丙奭と忠州地域の土地所有」 『韓国史研究』161、2013.6 一般論文 蔡雄錫「高麗仁宗代「惟新」政局と政治葛藤」 蘇淳圭「『世宗実録』地理志を通じて見た朝鮮初貢物分定の実態と特性:厥貢・土貢・土産項目の検討を中心に」 이석규「朝鮮前期三年喪制の確立と民の成長」 장병인「朝鮮時代王世子の婚姻儀礼」 문광균「嶺南大同法施行初期地方財政の改変とその性格」 仲林裕員「1910年代朝鮮総督府の統治論理と教育政策:「同化」の意味と「帝国臣民」化の戦略」 企画論文:韓国史の中の疎通と公論の場 박현모「世祖の国政運営方式研究:世宗の公論政治との比較を通じて」 宋讃燮「1862年農民抗争と疎通の政策」 裵亢燮「19世紀後半民衆運動と公論」 許英蘭「日帝時期地域社会と植民地公論場」 김영미「『平澤大穀日記』を通じて見た1960-70年代初農村の公論場、洞会と居酒屋(마실방)」 書評 姜文植「도현철『朝鮮前期政治思想史』太学社、2013年」 1-20 21-40 41-60 61-80 81-100 101-120 121-140 141-160 161-180
https://w.atwiki.jp/koreaeconomy/pages/6.html
韓国銀行は,2012年12月末の外貨準備は,3269億7千万ドルに達したと2013年1月に発表した。 外貨準備というのは,その国の通貨当局が自由に利用できる外貨の資産額をあらわしたものであり,その国全体が保有している外貨を意味することでないことに注意が必要。輸出企業が所有する民間の外貨は,国際投資対照表の対外資産にあらわれることになる。 外貨準備は順調に増加を続けているが,これはつまり通貨当局(韓国銀行)が介入を続けていることを意味している。 韓国の外貨準備内訳(各年末時点 単位 億ドル) 2003 2004 2005 2006 2007 有価証券 1350.9 1674.3 1868.3 2019.9 2317.8 預金 194.2 307.5 231.4 364.0 299.9 SDR 0.2 0.3 0.4 0.5 0.7 IMFポジション 7.5 7.9 3.1 4.4 3.1 金 0.7 0.7 0.7 0.7 0.7 外貨準備合計 1553.5 1990.7 2103.9 2389.6 2622.2 2008 2009 2010 2011 2012 有価証券 1803.8 2488.6 2679.3 2779.4 2998.6 預金 201.0 163.4 189.9 202.9 170.4 SDR 0.9 37.3 35.4 34.5 35.3 IMFポジション 5.8 9.8 10.2 25.5 27.8 金 0.7 0.8 0.8 21.7 37.6 外貨準備合計 2012.2 2699.9 2915.7 3064.0 3269.7 1
https://w.atwiki.jp/studykorea/pages/236.html
トップページ>論文アンソロジー>韓国社会の近代的転換と西欧「社会科学」の受容 『韓国社会の近代的転換と西欧「社会科学」の受容(한국 사회의 근대적 전환과 서구 사회과학 의 수용)』ソンイン(선인)、2013年 Ⅰ.近代転換期韓国「社会科学」受容の主体と問題意識 진덕규「韓国社会科学の知的系譜についての研究の意味」 전상숙「韓末新聞・雑誌言説を通じて見た近代西洋「社会科学」受容の歴史政治的性格:韓国初期「社会科学」形成の問題意識と特性」 李泰勲「人物調査を通じて見た韓国初期「社会科学」受容主体の構成と性格」 Ⅱ.近代韓国知識人の西欧「社会科学」理解と知的系譜 김동노「韓国社会の近代的転換と「社会科学」導入の条件」 전상숙「近代「社会科学」の東アジア受容と明治日本「社会科学」の特質:ブルンチュリー国家学受容を中心に」 김영명「兪吉濬と韓国的政治学の胎動?」 전상숙「儒教知識人の「近代」認識と西欧「社会科学」の理解:開国前後金允植の開化認識と西洋学問受容論を中心に」 李泰勲「韓末日本留学知識人の「近代社会科学」受容過程と特徴:「政治」についての認識と「立憲政治論」を中心に」 정병준「韓末アメリカ留学知識人の西欧「社会科学」受容と現実認識」 문상석「西欧「社会科学」の歴史的考察:Social Science and Sociology」 Ⅲ.転換期韓国社会の再認識と「近代国家」展望 문상석「韓末政治と政治体制認識」 정병준「韓末・大韓帝国期「民」概念の変化と政党政治論」 김동노「近代初期西欧経済学の導入と殖産興業論」 전상숙、김영명「伝統的共同体認識の変化と近代「民族」認識の形成:民族概念形成のきっかけ」 전상숙「近代転換期韓国「社会科学」受容の特徴と遺産:普遍性と特殊性」 Ⅳ.日本との比較 小室正紀「江戸時代の儒学と福沢諭吉」 池田幸弘「小泉信三の西欧体験:『青年小泉信三日記』を中心に」
https://w.atwiki.jp/koreaeconomy/pages/4.html
名目GDP 1309兆3830億ウォン(2012 IMF推計) 実質GDP 1110兆6700億ウォン(2012 IMF推計) 実質経済成長率 2.0%(2012 韓国銀行速報値) 消費者物価上昇率 2.2% 消費者物価指数 106.3(2012 2010=100 韓国銀行) 国際投資対照表(2012年12月末韓銀推計値/単位 百万USドル) (日本で言う本邦対外債権債務残高に相当) 資産 負債 直接投資 196,413 147,233 証券投資 130,846 582,094 金融派生商品 31,425 30,906 貿易信用 32,352 15,533 貸付借入 69,225 131,410 現預金 16,236 24,268 その他資産 38,510 13,581 外貨準備 326,968 合計 841,974 945,025 ※証券投資は,株や債券への投資額。負債は外国人が保有する韓国株・債券の額を意味している。
https://w.atwiki.jp/nikkanproblem/pages/17.html
1948年 4月3日 - 済州島四・三事件 5月10日 - 初代総選挙 7月17日 - 第一共和国憲法制定 8月15日 - 李承晩が大韓民国の建国を宣言。 10月19日 - 麗水・順天事件 1949年 10月19日 - 共産党非合法化措置の断行。民主主義民族戦線傘下の南朝鮮労働党など133団体の登録を取り消し。 12月1日 - 国家保安法を制定公布 12月24日 - 聞慶虐殺事件 1950年 5月30日 - 第2代総選挙、反李承晩系の南北協商派と中道勢力が過半数を占める。 6月25日 - 朝鮮戦争勃発。 6月28日 - 朝鮮人民軍、ソウルを占領。(ソウル会戦) 7月26日 - 老斤里事件 夏 - 保導連盟事件 9月15日 - 仁川上陸作戦 9月28日 - 国連軍、ソウルを奪回。 10月 - 中国人民志願軍参戦。 1951年 1月4日 - 中朝軍、ソウルを再度占領。 初頭 - 国民防衛軍事件 1月6日 - 江華良民虐殺事件 2月9日 - 居昌良民虐殺事件 3月14日 - 国連軍、ソウルを再奪回。 4月11日 - マッカーサー解任。 12月23日 - 李承晩大統領、与党自由党を結成 1952年 1月8日 - 李承晩ラインの宣言 2月4日 - 第一大邦丸事件 4月25日 - 基礎自治体である市・邑・面の議会議員選挙、翌月の5月10日には道議会の議員選挙が行われた。→1952年韓国地方議会選挙[1] 5月25日 - 政府は「共産ゲリラの掃討」を名目に、釜山と周辺地域23郡に非常戒厳令を布告、翌26日に野党系の国会議員多数がスパイ容疑で憲兵隊に連行され、恫喝される(釜山政治波動)。 7月4日 - 大統領を国会議員による間接選挙制から、国民からの直接選挙で選出する直選制に変更するための憲法改正案が可決される(抜粋改憲)。 8月5日 - 大統領選挙、直接選挙制によって行なわれた選挙で李承晩大統領が2回目の当選を果たす。 1953年7月27日 - 朝鮮戦争停戦。 1954年 5月20日 - 第3代総選挙、与党自由党が過半数の議席を占める。 11月27日 - 大統領に重任制限規定を撤廃する事を主な内容とした憲法改正案が成立要件に必要な3分の2である136名にわずかに達せず否決された。しかし、四捨五入の論理を援用して135名の賛成をもってして改憲案が可決されたことを宣言(29日)、改憲案は与党自由党によって再可決された(→四捨五入改憲)。 1955年 9月18日 - 民主国民党を中心とした反李承晩勢力が結集した保守政党の民主党が結成される。 1956年 5月5日 - 民主党の大統領候補、申翼熙が遊説移動中の列車内で急死。 5月15日 - 大統領選挙、李承晩(自由党)が大統領に3度目の当選を果たす。同時に行なわれた副大統領選では、張勉(民主党)が当選。 8月8日 - 市・邑・面の首長と基礎議会の議員選挙。8月13日にはソウル特別市市議会と道議会の議員選挙が行われた。ソウルや釜山、大邱などの都市部では野党民主党が圧勝したが、全般的には与党自由党が過半数を占める結果となった。→1956年韓国地方選挙 9月28日 - 5月の大統領選挙で当選した張勉副大統領(民主党)が、狙撃を受ける(張勉副大統領暗殺未遂事件)。 11月10日 - 曺奉岩を中心とする進歩主義勢力が結集した進歩党が結成される。 1958年 1月11日 - 野党進歩党の曺奉岩委員長ら党幹部が李承晩の次期大統領選挙当選の妨げになるとして[2]、北朝鮮のスパイと接触したことなどを名目に国家保安法違反容疑で逮捕され曺奉岩が処刑(59年7月31日)される(進歩党事件、2011年に冤罪事件であるとことが証明)。 2月16日 - 滄浪号ハイジャック事件 5月2日 - 第4代総選挙。不正選挙が横行して、与党自由党が圧勝したが、憲法改正に必要な議席数(総定数203議席の三分の二)には届かず。一方、野党民主党はソウル市を初めとする都市部で議席数を大幅に増やす。 1959年 12月4日 - 新潟日赤センター爆破未遂事件 1960年 3月15日 - 大統領選挙(三一五不正選挙) 4月19日 - 不正選挙を糾弾する大学生等がソウルでデモ、デモは全国に拡大。警官隊の発砲で死者多数(四月革命)。 4月27日 - 李承晩退陣 第二共和国期 [編集] 1960年 7月29日 - 第5代総選挙、民主党が圧勝。 8月12日 - 民議院・参議院の合同会議で民主党旧派の尹潽善が大統領に選出される。 12月 - 地方選挙。初めてソウル特別市市長と道知事が選挙で選出された。→1960年韓国地方選挙 1961年 5月16日 - 5・16軍事クーデター。 国家再建最高会議 [編集] 1961年 5月16日 - 軍事革命委員会を設置。議長には張都暎、副議長に朴正熙が就任。全国に非常戒厳令を公布。 5月19日 - 軍事革命委員会を国家再建最高会議(最高会議)に改称。 7月2日 - 張都暎最高会議議長が失脚、後任議長には朴正熙最高会議副議長が就任。 7月4日 - 反共法公布 8月12日 - 朴正熙最高会議議長、1963年夏に民政に政権を移譲することを発表。 10月20日 - 第6次日韓会談(~64年4月) 1962年 1月13日 - 第1次経済開発5カ年計画が確定 3月22日 - 尹潽善大統領、政治活動浄化法に対する不満を表明、大統領職を辞任。 6月10日 - 第2次通貨改革を実施、10対1で切り下げすると共に、通貨単位を「ファン」から「ウォン」に変更。 12月2日 - 改憲案に対する国民投票を実施、8割近い賛成票で承認。 12月26日 - 第三共和国憲法制定。 1963年 2月26日 - 軍事クーデター勢力が中心となって、与党・民主共和党(総裁・朴正煕)が結成される。 10月15日 - 大統領選挙、民主共和党(共和党)の大統領候補である朴正熙が、民政党の尹潽善を僅差で抑えて当選。 11月26日 - 第6代総選挙、共和党が過半数を超える議席を獲得して勝利。 第三共和国期 [編集] 1963年 12月16日 - 国家再建最高会議解散 12月17日 - 第三共和国憲法発効、第6代国会の召集、朴正熙大統領の就任宣誓式挙行。第三共和国体制のスタート。 1964年 1964年 - 1973年、ベトナム出兵。 6月3日 - 首都ソウルで、日韓会談に反対する大規模デモ、政権打倒のスローガンまで登場。政府はソウル一円に非常戒厳令を宣布(6・3事態)。 1965年6月22日 - 日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約締結 8月14日 - 第一次人民革命党事件 1966年 2月 - タイビン村虐殺事件 9月22日 - 国会汚物投擲事件 1967年 2月7日 - 民衆党や新韓党など保守野党勢力が結集して新民党が結成される。 5月3日 - 第六代大統領選挙、共和党の朴正熙候補が新民党の尹潽善を抑えて2度目の当選を果たす。 6月8日 - 第7代総選挙、朴正熙大統領の与党で共和党が国会の三分の二を上回る議席を獲得して圧勝。 7月8日 - 東ベルリン事件 1968年 1月21日 - 青瓦台襲撃未遂事件 4月 - 1月に発生した青瓦台襲撃未遂事件を教訓に郷土予備軍が創設される。 5月20日 - 釜山市電全廃。 11月30日 - ソウル市電全廃。 12月21日 - 京釜高速道路漢南IC-水原IC (22.4km) 開通(大韓民国初の高速道路) 1969年 1月7日 - 尹致暎共和党議長代理、大統領の3選出馬を可能とする為の憲法改正、所謂「3選改憲」を検討することを表明。同日、野党新民党の金泳三院内総務は「いかなる改憲にも反対する」する旨の声明を発表。 4月7日 - 権五柄文教部長官に対する野党提出の不信任案が、与党共和党の一部議員の造反で可決(4・8坑命事件)。現職閣僚の不信任動議が可決されたのは史上2番目。 4月15日 - 共和党、4・8坑命事件を主導したと断定した議員5名を除名。 7月25日 - 朴正熙大統領、大統領3選出馬の意志を表明(7・25談話)。 7月29日 - 与党民主共和党、議員総会を開催。全員一致で朴大統領(同党総裁)の3選出馬意思表明を支持すると共に、改憲案の早期処理を決定。 9月14日 - 憲法改正案、与党議員のみで強行可決。野党議員が本会議場を占拠する中、国会別館に集結し与党議員のみで改憲案を可決。 10月17日 - 憲法改正国民投票。6割以上の賛成多数で改正案は承認。 10月21日 - 改正憲法公布 12月10日 - 大韓航空機YS-11ハイジャック事件 1970年 1月7日 - 兪鎮午新民党総裁、病気を理由に辞意表明。 1月26日 - 新民党の臨時党大会で、辞意表明した兪鎮午の後継総裁に、柳珍山副総裁を選出。 4月8日 - 臥牛アパート崩壊、27名圧死、3~4名行方不明 5月1日 - 李王朝最後の皇太子である李垠が死去 4月22日 - セマウル運動 6月2日 - 「五賊」筆禍事件、金芝河ら拘束 7月1日 - 郵便番号制実施 7月7日 - 京釜高速道路大田IC-東大邱IC開通。(これをもって全線開通) 8月15日 - 朴正熙大統領、光復節の演説で初めて北朝鮮政権の存在を認める。同時に北朝鮮の対韓武力行使と戦争挑発行為の即時放棄を前提に、南北間の人為的障害を除去する方策を採る用意があることを表明(8・15宣言)。 9月29日 - 新民党、翌年の大統領選挙における同党候補として金大中候補を選出。 10月15日 - 金大中、新民党大統領候補指名後初の記者会見で當選後の政策目標を発表。 11月13日 - 平和市場の被服工場に裁断士として勤務していた全泰壱が同工場における劣悪な労働条件に抗議して焼身自殺 12月30日 - 湖南高速道路懐徳JCT-全州IC開通 1971年 3月19日 - 釜山広域市古里で国内初の原子力発電所起工 3月31日 - ソウル~釜山間に長距離自動電話が開通。 4月27日 - 大統領選挙。朴正煕、金大中を破り大統領三選。 5月25日 - 第8代総選挙で野党新民党躍進。 7月8日 - 公州武寧王陵発掘。 8月10日 - 広州大団地暴動 8月23日 - 実尾島事件 10月2日 - 10・2坑命波動 10月15日 - 政府、衛戌令[3]を発動(11月9日に解除)。武装軍人を延世大学校、高麗大学校に出動。またソウル大学や高麗、延世など8大学に無期休校令を布告。 11月8日 - 米の消費節約に関する行政命令施行。全国の飲食店に対し、主食への雑穀20%以上混入と、毎週水曜と土曜には粉食のみの販売を義務づける。違反した店に対しては営業停止処分、場合によっては営業許可の取り消しの処分。 12月6日 - 朴正熙大統領、「北朝鮮による南侵の脅威」を理由として「国家非常事態宣言」を布告。同月22日、与党共和党は大統領に非常大権を与えることを内容とした「国家安全保障に関する特別措置法」を国会に提出、単独で強行成立させた。 1972年 2月17日 - ニクソン米大統領訪中。 7月4日 - 南北共同声明発表。 8月30日 - 平壌で第一回南北赤十字会談。 第四共和国期(維新体制) [編集] 1972年 10月17日 - 非常戒厳令を宣布(10月維新)。憲法の一部条項の効力を停止、国会の解散、政治活動の禁止。 11月21日 - 維新憲法案、国民投票で成立。(維新独裁体制) 12月15日 - 第1回統一主体国民会議代議員選挙。 12月23日 - 統一主体国民会議、朴正熙を大統領に選出。 1973年 2月27日 - 第9代総選挙 3月3日 - 韓国放送公社(KBS)発足。 6月23日 - 金日成北朝鮮国家主席、「高麗民主連邦共和国」施政方針提唱。 8月8日 - 金大中事件 1974年 4月3日 - 民青学連事件 4月28日 - 新民党柳珍山総裁が病死 8月15日 文世光事件(陸英修大統領夫人暗殺) ソウル市地下鉄開通(ソウル駅~清凉里駅、現・ソウルメトロ1号線) 8月19日 - 陸英修の国民葬。日本からは田中角栄総理が参列。 8月23日 - 新民党、臨時党大会を開催。新総裁に金泳三を選出。 10月24日 - 東亜日報の記者約180名が社内で集会を開き、「自由言論実践宣言」を採択。東亜放送、韓国日報、朝鮮日報、中央日報でも記者らによる集会が行われ、言論の自由を求める決議を採択した。 11月22日 - フォード大統領が訪韓、朴正熙大統領と会談し、共同声明を発表。翌23日に離韓。 11月27日 - 民主回復国民会議発足。 1975年 2月12日 - 維新憲法の是非を問う国民投票実施(→大韓民国の国民投票 (1975年))。維新体制支持が多数を占めた。 3月17日 - 東亜日報、12日より言論の自由や解職記者の復職を求めて新聞製作を拒否し籠城していた同紙記者ら約150名を強制排除、新聞発行を正常化。 4月9日 - 人民革命党再建委員会事件 5月13日 - 大統領緊急措置第9号布告、反政府活動全面禁止 9月1日 - 新国会議事堂竣工 9月22日 - 民防衛隊発足式 1976年 3月1日 - 在野指導者、民主救国宣言を発表。 8月18日 - 板門店ポプラ事件(北朝鮮軍、米兵2名殺害) 10月11日 - 全羅南道新安沖沈没船発見 1977年 3月10日 - ジミー・カーター米大統領、在韓米軍の撤退発表 6月19日 - 原子力発電所1号機点火 11月11日 - 裡里駅でダイナマイトを満載した貨物列車が爆発(→裡里駅爆発事故) 1978年 2月24日 - 尹潽善ら在野指導者、第2の「民主救国宣言」を発表。 4月20日 - 大韓航空機銃撃事件 5月18日 - 統一主体国民会議第2期代議員選挙 7月6日 - 統一主体国民会議、朴正熙を大統領に選出 11月7日 - 米韓連合司令部発足 12月12日 - 第10代総選挙、野党新民党、得票率で与党共和党を上回る。 12月22日 - 政府、76年3月の民主救国宣言で逮捕拘束されていた金大中の刑執行停止と釈放、金芝河の懲役20年への減刑を発表(金大中は27日に釈放)。 1979年 2月10日 - カーター米大統領、在韓米軍撤退中止を発表 5月30日 - 新民党定期党大会で、総裁に対政府強硬派の金泳三を選出。 6月29日 - カーター米大統領来韓 8月11日 - 警察機動隊が新民党本部に籠城していたYH貿易の女子工員150名余りを強制排除。その際に女子工員や党職員と殴り合いになり、女子工員一名が死亡(→YH事件)。新民党は強制排除に対し、強く抗議。 10月4日 - 国会、新民党総裁・金泳三除名(金泳三総裁議員職除名波動) 10月16日 - 釜山で反政府デモ、馬山などに拡大(釜馬民主抗争) 10月26日 - 朴正熙大統領、金載圭中央情報部長に射殺される(10・26事件) 10月27日 - 済州道を除く全土に非常戒厳令 11月3日 - 朴正熙大統領の国葬挙行。 11月24日 - ソウル市明洞のYWCA講堂に在野人士が結婚式を名目に結集、統一主体国民会議による大統領選出に反対する「統一主体国民会議による暫定大統領選出阻止国民大会」を開催(YMCA偽装結婚式事件)。 12月6日 - 統一主体国民会議、崔圭夏を大統領に選出 12月12日 - 大統領緊急措置令第9号、政治犯を釈放 12月12日 - 粛軍クーデター、全斗煥保安司令官など新軍部が、韓国軍の実権を掌握。 1980年 2月29日 - 政府はこの日、金大中や尹潽善など687名の公民権回復を発表。 4月21日 - 江原道舎北邑の東原炭鉱で労働組合員など3,000名がデモ、賃金の大幅引き上げや労組支部長退陣などを要求し、村を数日間占拠した(舎北事態)。警察官1名が死亡、重軽傷者40名余り。 5月2日 - 民主化を求める学生デモ全国に拡大 5月17日 - 非常戒厳令を全国に拡大(5・17非常戒厳令拡大措置)。 5月18日 - 戒厳軍、光州で武装した学生・市民と衝突(~27日、光州事件) 5月24日 - 金載圭中央情報部長の死刑執行 5月30日 - 国家保衛非常対策委員会が設置。トップの委員長には全斗煥保安司令官兼中央情報部部長代理が就任。 7月31日 - 『創作と批評』や『シアレソリ』など、定期刊行出版物172誌の登録取り消し(言論統廃合の一環として行なわれた)。 8月1日 - 戒厳司令部は、金大中など24名を内乱陰謀罪で軍法会議に起訴したことを発表。 8月13日 - 金泳三新民党総裁が政界引退を表明。 8月27日 - 統一主体国民会議、全斗煥を大統領に選出(→1980年大韓民国大統領選挙) 9月17日 - 普通軍法会議。金大中被告に対し内乱罪を適用、死刑判決が下される。その他の被告23名にも2~20年の実刑を言い渡された。 第五共和国期 [編集] 1980年 10月22日 - 第5共和国憲法草案に対する国民投票実施、翌23日に91.6%の賛成で憲法確定(→1980年大韓民国の国民投票)。 11月17日 - 言論統廃合措置の一環として、マスメディア業界の再編実施。東洋放送(TBC)と東亜放送(DBS)は韓国放送公社(KBS)に、新亜日報は京郷新聞に、ソウル経済は韓国日報にそれぞれ吸収。 11月19日 - 大韓航空015便着陸失敗事故 11月28日 - 日韓の間で初めて海底ケーブルが設置。これにより通信回線は5倍となった。 12月11日 - 反体制詩人金芝河など8名の刑執行を停止、釈放。 1981年 1月15日 - 新軍部勢力が主体となって全斗煥政権与党の民主正義党(民正党)が結成される。 1月23日 - 大法院上告審で金大中被告の死刑が確定。しかし同日、全斗煥大統領は特赦を実施、金大中を死刑から無期懲役に減刑した。 1月24日 - 非常戒厳令解除 2月25日 - 大統領間接選挙で全斗煥当選(→1981年大韓民国大統領選挙) 3月25日 - 第11代総選挙、与党・民正党が安定多数議席を確保。 9月30日 - 88年オリンピック、ソウル開催決定 1982年 1月1日 - 文教部、中高生の制服、髪型の自由化発表 1月5日 - 夜間通行禁止令全面解除 3月18日 - 釜山にあるアメリカ文化院に反米主義者の学生達が放火(→釜山アメリカ文化院放火事件) 5月7日 - 1400億ウォン相当の手形詐欺で張玲子逮捕(李・張事件) 12月23日 - 内乱陰謀容疑で懲役刑を受けていた金大中の刑執行が停止され、病気治療を名目に渡米。 1983年 1月1日 - 公職者倫理法発表 1月11日 - 中曽根康弘首相、現職首相として初めて韓国訪問 5月18日- 金泳三、政治活動規制措置の解除を求めてハンガーストライキを開始。 6月9日 - 金泳三、ハンガーストライキを中止。 9月1日 - 大韓航空機撃墜事件 10月9日 - ラングーン事件 1984年 4月2日 - 安全企画部、78年香港失踪の有名女優、映画監督の北朝鮮拉致事実公表 5月3日 - ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世来韓 9月6日 - 全斗煥大統領、韓国元首として初めて日本を公式訪問 11月15日 - 板門店で第1回南北経済会議 1985年 1月18日 - 政治活動禁止措置解除者を主軸に、新韓民主党(新民党)が結成される。 2月8日 - 病気治療で渡米中の金大中が帰国。 2月12日 - 第12代総選挙、新民党が都市部を中心に躍進。野党第一党に浮上。 5月23日 - 大学生75名が光州事件に対する米国政府の謝罪などを要求してソウルのアメリカ文化院図書室を占拠籠城(→ソウルアメリカ文化院占拠籠城事件) 7月19日 - 釜山地下鉄初開通 9月20日 - 南北離散家族故郷訪問団などソウル、平壌を相互訪問 1986年 3月13日 - 北朝鮮に拉致されていた映画監督・申相玉、女優・崔銀姫、オーストリアから米国に脱出 5月3日 - 「直選制改憲1000万署名運動」仁川・京畿道支部結成大会が新民党を批判する急進的民主化運動勢力のデモと警察の暴力的鎮圧で中止に追い込まれる(→5・3仁川事態)。 8月2日 - 新・国立中央博物館、旧総督府を改造して開館 9月20日 - 第10回アジア競技大会ソウル開催、中国代表団参加 1987年 1月14日 - ソウル大学校言語学科の学生である朴鍾哲が警察での取調中に拷問で死亡する。 4月13日 - 全斗煥大統領、年内の改憲論議中止と現行憲法による大統領選挙(間選制)実施を表明する(4・13護憲措置) 5月1日 - 金泳三を総裁とする統一民主党(民主党)結成。 6月9日 - 延世大学経営学科2年の李韓烈、デモ中に戦警が発射した催涙弾の直撃を受け重体となる(7月5日に死亡)。 6月10日 - 学生拷問致死事件の糾弾と改憲を求める反政府デモ広がる。→6月民主抗争 第六共和国期 [編集] 1987年 6月29日 - 大統領候補盧泰愚、大統領直接選挙制への改憲や金大中氏の赦免・復権など八項目からなる「民主化宣言」を発表 7月1日 - 電話の全国完全自動化達成[4] 8月5日 - 盧泰愚、民正党総裁就任 8月29日 - 京畿道龍仁郡で32名集団遺体発見[5](五大洋集団死事件) 10月27日 - 大統領直接選挙制の改憲案、国民投票で成立→1987年大韓民国の国民投票 11月29日 - 大韓航空機爆破事件 12月3日 - 中部高速道路開通(江一インターチェンジ-南二ジャンクション) 12月15日 - 真由美こと金賢姫ソウル移送 12月16日 - 大統領選挙、16年ぶりの大統領直接選挙で民主正義党の大統領候補である盧泰愚が、当選 1988年 2月22日 - 国内初のAIDS患者発見を発表 盧泰愚大統領 [編集] 1988年 1月1日 - 国民年金制と最低賃金制が施行。 2月25日 - 盧泰愚、大統領就任 4月26日 - 第13代総選挙で与党民正党過半数割れ 9月16日 - ソウルオリンピック開催 11月23日 - 全斗煥前大統領、5共非理問題で謝罪し、隠遁 1989年 3月25日 - 文益煥牧師、北朝鮮訪問(帰国後、逮捕) 7月1日 - 平壌世界青年学生祝典に韓国女子大生・林秀卿参加(帰国後、逮捕) 7月12日 - ソウル市内にロッテワールドがオープン。 9月11日 - 盧泰愚大統領、韓民族共同体統一法案発表 1990年 1月22日 - 民主正義党総裁の盧泰愚大統領と、統一民主党の金泳三総裁及び新民主共和党の金鍾泌総裁が青瓦台で会談し、3党を合同して「民主自由党」(民自党)を結成することを宣言(2月9日に合同大会を開催、正式に発足)。 9月30日 - ソ連と国交樹立 1991年 3月26日 - 1961年の軍事クーデター以降、停止されていた地方自治復活の一環として、市・区・郡議会の議員選挙が実施される。 6月20日 - ソウル特別市や釜山直轄市(当時)など6大都市と九つの道議会の議員選挙が実施、与党民自党が圧勝。→地方議会選挙 (韓国 1991) 9月17日 - 国連加盟(北朝鮮、バルト三国も加盟) 1992年 3月24日 - 第14代総選挙、与党の民主自由党は過半数を下回る。 12月18日 - 大統領選挙、民自党の金泳三候補が民主党の金大中に大差をつけて当選。 金泳三大統領(文民政権) [編集] 1993年 2月25日 - 金泳三、第14代大統領に就任。 8月7日 - 大田でエキスポ`93(太田世界博覧会)開催。 1994年 10月21日 - ソウル市の聖水大橋の崩落事故。 1995年 6月27日 - 第一回全国同時地方選挙。与党民自党は、ソウル特別市市長選挙で候補が落選するなど、敗北。 6月29日 - ソウル市の三豊百貨店の建物の半分が崩壊。 9月5日 - 政界復帰を表明した金大中が新政治国民会議(国民会議)を結成。 1996年 4月11日 - 第15代総選挙、与党の新韓国党は善戦。国民会議の金大中総裁は落選。 5月31日 - 2002年 サッカーワールドカップ、韓日共同開催を決定。 9月18日 - 江陵浸透事件 12月12日 - OECD(経済協力開発機構)に加盟。 1997年 4月17日 - 全斗煥、盧泰愚元大統領の有罪判決が確定。 7月15日 - 起亜財閥が事実上の破綻。 11月21日 - 通貨危機(ウォンの下落)。IMF(国際通貨基金)に支援を要請。 12月19日 - 大統領選挙投開票。新政治国民会議の金大中候補が、ハンナラ党の李会昌を僅差で抑えて当選。韓国の憲政史上初めて選挙を通じた与野党の政権交代が実現。 金大中大統領(国民の政府) [編集] 1998年 2月25日 - 金大中、第15代大統領に就任。 6月4日 - 第二回全国同時地方選挙。与党国民会議は地盤の全羅道以外にソウル特別市市長選挙や京畿道知事選挙など首都圏で勝利を収めた。 2000年 1月12日 - 約460の市民団体により2000年総選市民連帯(総選連帯)結成。(以降、総選挙に向けて落選運動を展開。) 1月13日 - 朴泰俊議員、首相就任(~5月18日) 3月10日 - 訪欧中の金大中大統領、「ベルリン宣言」発表(現地時間9日) 4月13日 - 第16代総選挙。ハンナラ党133議席、新千年民主党(民主党)115議席、自民連17議席。 5月23日 - 李漢東(イ・ハンドン)議員(自民連)、首相就任(~6月28日) 6月13日 - 金大中大統領、平壌訪問。金正日北朝鮮国防委員長と会見 6月15日 - 「南北共同宣言」署名 8月15日 - 第1回南北離散家族相互訪問。南北100人ずつがソウルとピョンヤンを訪問。 8月24日 - 韓国政府、南北自由往来に備え京義線鉄道・道路建設計画発表。 9月18日 - 京義線復旧工事着手 9月25日 - 現代峨山グループ4,000億ウォン対北支援疑惑発覚 10月1日 - それまでの生活保護法に代わり新たに「国民基礎生活保障法」(参照)が施行される。 10月13日 - 金大中大統領、ノーベル平和賞受賞 11月10日 - 超高速インターネット加入者1,000万人突破 11月20日 - 現代建設自救案発表 2001年 1月6日 - IMF資金先払い返済発表 2月1日 - 政府、現代建設債権者に支払い保証発表 2月19日 - ストライキ中の大宇自動車富平工場に機動隊4,200人突入し、労組員らを排除。(この年労働運動高潮) 3月21日 - 現代財閥創業者鄭周永(チョン・ジュヨン)死去 3月29日 - 仁川国際空港開港。 5月18日 - 金大中大統領三男、金弘傑(キム・ホンギョル)斡旋収賄容疑で逮捕 6月3日 - ストライキ中の暁星蔚山工場に警官3,600人突入。 6月21日 - 金大中大統領次男、金弘業(キム・ホンオプ)斡旋収賄容疑で逮捕 10月26日 - SBSにおいてアジア初のデジタル地上波放送開始。 11月5日 - KBS、EBSが地上波デジタル放送開始。 11月13日 - 金大中大統領、新千年民主党総裁職を辞任。 2002年 5月31日 - 日韓ワールドカップ開催(~6月30日)ブラジル優勝、韓国4位 6月13日 - 京畿道楊州郡広積面孝村里で女子中学生2名が米第2歩兵師団工兵隊装甲車にひき殺される。(議政府米軍装甲車女子中学生轢死事件)。同日、第三回全国同時地方選挙が行われ、首都ソウル市の市長に李明博(イ・ミョンバク)が当選するなど野党ハンナラ党が圧勝。 6月29日 - 黄海上で南北警備艇軍事衝突、韓国側6人戦死。(第2延坪海戦) 7月11日 - 梨花女子大総長・張裳(チャン・サン)、首相代理に就任 7月31日 - 国会、張裳の首相就任案を否決 8月15日 - 女子中学生追悼と主権回復のための人間の鎖市民集会 9月29日 - 第14回釜山アジア競技大会(~10月14日) 11月20日 - 米軍事裁判で女子中学生2名をひき殺した米兵2名に無罪判決 12月7日 - ソウル市民2万人、米大使館前でローソク・デモ 12月19日 - 大統領選挙の投開票。盧武鉉候補1,202万票、李会昌(イ・フェチャン)候補1,144万票。盧武鉉が大統領に当選。 12月21日 - キャンドル・デモ、在ソウル米大使館包囲 2003年 1月25日 - SQL Slammer(ワーム)により約9時間に渡りインターネットがマヒ。(『インターネット大乱』) 2月18日 - 大邱地下鉄1号線放火事件。192名死亡、148名負傷。 盧武鉉大統領(参与政府) [編集] 2003年 2月25日 - 盧武鉉、第16代大統領に就任。 2月27日 - 高建・元首相(官僚出身)、首相に就任 5月11日 - 盧武鉉大統領訪米(~17日) 6月6日 - 盧武鉉大統領、権良淑(クォン・ヤンスク)夫人とともに国賓として訪日。 8月4日 - 鄭夢憲・現代峨山会長、社屋屋上から投身自殺(対北送金事件)。 8月8日 - 大邱市内の京釜線において列車衝突事故(無窮花列車と貨物列車) 8月21日 - 第22回夏季ユニバーシアード大邱大会開催(-31日)。北朝鮮も統一旗の下で参加。 9月12日 - 台風メミ(蝉)韓国南部を襲う。死亡・失踪131名、負傷376名。 11月17日 - ドナルド・ラムズフェルド米国防長官韓国を訪問し、盧武鉉大統領と会見 11月18日 - ラムズフェルド国防長官、東豆川市の米第2歩兵師団基地キャンプ・ケーシーを訪問 この年の自殺率は10万人中24で、1983年統計開始後史上最高となった。これまで最高だった1999年の19.9より4ポイント高い(統計庁、2004年9月22日)。 2004年 1月29日 - ソウル日本人学校園児襲撃事件 3月12日 - 盧武鉉韓国大統領弾劾訴追が国会を通過[6] 4月1日 - KTXが開通。 4月15日 - 第17代総選挙、盧武鉉大統領の事実上の与党、開かれたウリ党が過半数を制する議席を確保(152議席)。左翼系の民主労働党も10議席を獲得し、念願の院内進出を果たす。 5月14日 - 憲法裁判所、盧武鉉韓国大統領弾劾訴追を棄却。 10月21日 - 憲法裁判所、「行政首都移転法」を違憲と判断。 2005年 - 2005年韓国の事件も参照 2月3日 - 憲法裁判所が戸主制に対して違憲と判断。 9月 - 清渓川復元。 2006年 4月20日 - 韓明淑(ハンミョンスク)、女性初の国務総理(首相)に就任(~2007年3月) 5月31日 - 第四回全国同時地方選挙、野党ハンナラ党が圧勝。与党ウリ党は、広域自治団体選で全羅北道知事一名の当選に留まるなど惨敗。 10月9日 - 北朝鮮、初めての地下核実験に成功と発表。(北朝鮮の核実験) 2007年 1月23日 - 人民革命党事件に対して最高裁判所が無罪を宣告。 10月2日 - 第2次南北首脳会談開催。「南北関係発展と平和繁栄のための宣言」発表。 12月19日 - 大統領選挙、ハンナラ党の李明博候補が民主新党の鄭東泳候補や無所属の李会昌候補に大差をつけて勝利。10年ぶりに保守勢力が政権を奪回。 李明博大統領(実用政府) [編集] 2008年 2月25日 - 李明博、第17代大韓民国大統領に就任。 4月9日 - 第18代総選挙、与党ハンナラ党が過半数を制する議席を確保(153議席)。旧与党勢力が主体となって結成された統合民主党は惨敗。 4月18日 - 韓米牛肉交渉が妥結。農林水産食品部、米国産輸入牛肉の全面開放を発表。 4月19日 - 韓米首脳会談、ワシントンで開催される。李明博大統領、ブッシュ大統領と会談。 4月21日 - 日韓首脳会談、東京で開催。李明博大統領、福田康夫総理と会談。日韓経済連携協定については、6月に実務協議を再開することで合意した。 5月2日 - 米国産輸入牛肉の全面開放に抗議するキャンドル集会、開始。 5月29日 - 第17代国会が任期満了。韓米FTA批准同意案などが廃案となる。 6月4日 - 地方自治団体長(2箇所)と地方議員(12名)の再補選でハンナラ党が惨敗。 6月10日 - キャンドル集会が最大規模に達する。警察発表で10万人、主催者推定では70万人余りが参加。 6月19日 - 李明博大統領、特別記者会見の席において牛肉輸入を巡る騒動で国民に謝罪。朝鮮半島大運河は国民が反対するなら推進しないと言明。 7月3日 - ハンナラ党、新代表(代表最高委員)に朴熺太を選出。 7月6日 - 民主党、新代表に丁世均を選出。党名を「統合民主党」から「民主党」に改名。 7月10日 - 第18代国会議長に、ハンナラ党の金炯旿を選出。 7月11日 - 北朝鮮の金剛山で[[韓国人]]観光客が射殺される。 8月9日 - 韓中首脳会談、ソウルで開催。李明博大統領と胡錦涛国家主席が会談。 9月4日 - ポスコ、世界最大規模、年間発電量50メガワットの燃料電池工場を稼働。 10月7日 - 100大国政課題発表。大運河事業については除外。 10月16日 - 東洋建設工業、新安に世界最大規模の太陽光発電所(発電容量:24メガワット)の建設を発表 10月21日 - LG電子は、太陽電池事業の本格に向け、約2,200億ウォンの投資することを決定。 11月20日 - 統一部、北朝鮮向けのビラ散布に対して遺憾の意を表明。 11月22日 - ペルーの首都リマで韓米首脳会談。李大統領、ブッシュ大統領と最後の会談。 12月1日 - 北朝鮮、南北間の通行を大幅に制限する「12月1日付措置」実施 12月13日 - 日韓中首脳会議、福岡で開催。李大統領、麻生太郎首相、温家宝中国首相と会談。 2009年 1月6日 - 政府、4大江(漢江、洛東江、錦江、栄山江)整備事業をはじめとする「グリーンニューディール事業」の内容を確定。 1月9日 - 上海汽車、双竜自動車の法廷管理をソウル中央地裁に申請 1月20日 - ソウル竜山地区の再開発に反対して籠城した住民が警官隊と衝突、双方の6名が死亡。 4月22日 - 韓米FTA批准案が国会外交通商統一委員会を通過 4月26日 - 検察、不正資金疑惑と関連して盧武鉉前大統領に出頭を要請。 4月29日 - 国会議員再・補欠選挙、与党ハンナラ党は全敗 4月30日 - 検察、不正資金疑惑と関連して盧前大統領を調査 5月26日 - 盧前大統領を調査が自宅裏山から投身して死亡。 5月29日 - 26日に死亡した盧前大統領の国民葬が執り行われた。 6月8日 - 政府、本事業費規模約17億兆ウォンの4大江整備事業マスタープランを発表。開城工業団地入居企業が注文減少と身辺安全の問題で撤退を決定。 7月1日 - 非正規職法が施行。非正規雇用は最大2年に制限。 7月22日 - 国会でメディア3法(新聞法、インターネットマルチメディア放送事業法、放送法)を強行採決で可決 8月6日 - 双竜自動車労働組合、ストライキ突入。76日後に労使交渉妥結。 8月18日 - 金大中元大統領が肺炎により死亡 8月23日 - 金大中元大統領の国葬
https://w.atwiki.jp/kbcq/pages/57.html
20070225韓国出身BC級戦犯者同進会・韓国遺族会創立趣旨文 20070426韓国国会宛請願(要旨) 20071210靖国神社宛要望書 20071227靖国神社回答 20080623追悼の辞(韓国BC級戦犯遺族会・姜道元) 20080731韓国遺族会の資料公開要請に対する外務省回答 20091214韓国・朝鮮人元BC級戦犯者問題の早期解決を求める要請書 20091215韓国同進会要望書
https://w.atwiki.jp/studykorea/pages/235.html
トップページ>論文アンソロジー>開化期韓国と世界の相互交流 『開化期韓国と世界の相互交流(개화기 한국과 세계의 상호 교류)』国学資料院、2004年 第1部 開化期韓国と日本の相互交流 박양신「統監政治と日本人」 李憲昶「開化期韓国と中国・日本の経済交流」 金淇周「開化期朝鮮政府の対日留学政策:1880年代を中心に」 편무진「開化期韓国における日本語教育と日本での韓国語教育」 윤승준「菊初李人稙の日本経験と新小説」 第2部 開化期韓国と西洋の相互交流 김문용「1880年代後半期東道西器的開化論の一端についての検討:陸用鼎の『宜田記述』を中心に」 김승태「開化期キリスト教伝播の社会・文化的意味」 송규진「開化期朝鮮と西洋の経済交流」 오인영「駐韓西洋人たちの生活相」 송재용「開化期西洋人が見た韓国の儀礼文化」
https://w.atwiki.jp/abyssp/pages/49.html
この国は90%以上が『妄想』と『捏造』からできていますが実在します 概要 どんどん領土が広がり過去の歴史が塗り変わる不思議な国 平行世界への移動手段を探し出し、タイムパトロールの警戒網を潜り抜け成果をあげるつわものである 天海政権発足後、第二次世界大戦で日本が敗北した理由のひとつである朝鮮半島を完全に無視し 領土拡張作戦『日本†無双~ドキッ★敵国だらけの三国志演義~』から対象外とされ 北朝鮮と共に放置されている。このこと(攻撃されなかったこと)に対し何故か遺憾の意が発せられている 経済 9 文化 軍事力 現状 状況 孤立する半島 元々孤立していたが、日本の初手の中国併合により状況がさらに悪化 日本に対し色々と喚き立てるも完全にスルーされる 周辺国が弱体化、併合されていくにつれ危機感を持った韓国だったが 全く持って心配のし過ぎである。コリアンフィールドにより絶対的に守られているのだから (あまりに凄過ぎて誰も近寄らない的な力が韓国を守っているらしい) 朝鮮戦争再開 韓国からの在韓米軍の撤収を受け、長らく休戦状態にあった朝鮮戦争がついに再開 台湾に米軍が駐留しているものの軍事同盟に参加していない韓国を助けないのは当然であった 独立保障もとくにはなく日本の旧体制派が権力の座にあったならば独立保障してただろうに 戦争再開3日で首都を占拠され奪還までに2ヶ月を要した くしくも奪還できたのは日本の対中国作戦を終え『日本†無双~ドキッ★敵国だらけの三国志演義~』の 第二段階であるソ連領土侵攻に際して北朝鮮との国境に大兵力を移動させたため、万が一に備え国境に戦力を割いたためである 履歴 日本†無双~ドキッ★敵国だらけの三国志演義~ # 12 関連項目 # 13 参考文献 # 14 外部リンク